旅の最後は、武田信玄が西上作戦の際に秋山虎繁に補給拠点として整備を命じ、武田流築城術を駆使して改修したという下伊那郡松川町にある大島城です。ここは台城公園という名前になっていますが、結構マイナーなので場所も上げておきます。
お城は武田流築城術の典型である天竜川に面した舌状台地の先端に本丸を置き、そこから二の丸三の丸を川と反対側に拡張していった跡が見られます。
ここは三日月堀の大きな丸馬出が見どころですが、なぜか馬出そのものが民家になっているので、大馬出の場所をあまりじろじろと見ることができません。
城内を奥に進むと天竜川を背に断崖の上に本丸がありますが、城は結構広大で伊那郡支配の重要拠点であったことがよく分かります。
↓下の写真は本丸から天竜川を見るの図です
ただ、防衛拠点というよりは補給拠点という印象を与えるお城です。
実際、織田軍の信濃侵攻の際にはその改修の成果を見せることなく、飯田の松尾城落城の報を聞くと、城将の武田逍遥軒が戦うことなく城を焼き放って自落した場所でした。
その様子は松尾城に引き続いて
がお勧めです。武田逍遥軒の現実と理想のギャップがうまく描かれています。
また、最近読んでみた萩原さちこさんの
にもちょこちょこ今回の旅で訪れたお城も載っています。(いろんな城のことを書いているので、一つ一つはそんなに詳しくは書いていません)
しかし最大の謎はなぜか城の中がマレットゴルフ場になっていること・・・。
この後は中央高速でまっすぐ神奈川に戻ってきました。今回は広範囲だったので3日間での走行距離850Kmで良く走りました。
しかし名所のお城以外、ほぼ人はいなかった夏の旅でした。