犬山城から見える木曽川を渡るとすぐに岐阜県なので、近いだろうと思って移動したら、岐阜駅から北のほうにある岐阜城は結構遠かった・・。一般道で26Kmの道のりを50分かけて移動し、到着は12時40分ごろ。
正面からではなく、裏側の長良川沿いのやや狭い道で向かいましたが、ほんとに切り立った崖の上にある城であることがよく分かります。
標高300Mある金華山の頂上にある天守閣へはさすがに歩いて上る元気はないので、ふもとにある信長の銅像や居館跡がある場所を通りぬけて、ロープウェイで登っていきます。
そこから天守閣のある頂上までは少し登りますが、それだけでも汗だくです。
登っていく途中には、秀吉が攻め込んで瓢箪を掲げたという場所も残っています。
道の途中で天守閣が見えてきます。
積み方からも古い時期に積んだと思われる石垣もあり、こんな山の上によく作ったなと改めて感心します。
そして中に入り、最上階までたどり着けば、涼しい風が吹き抜けて遠くまで見渡すことができます。(天守閣は近年の復元なので、中はふつうに展示があるくらいです)
ここからは濃尾平野がかなり見渡せるので、尾張方面の動きはよく見えたことと思います。
稲葉山城/岐阜城の名前は難攻不落のお城の代名詞的に出てきますが、実際には何度も落城を経験しています。なにか構造的な弱さがあるのではないかという疑問をもって登ってみました。
加えてGoogle Mapで上からも眺めてみました。
その結果、個人的には
・広大な山城なので、各攻め口を守ろうと思ったらそれぞれに結構な兵力が必要であること。(切り立った崖なので、攻め口に応じて兵を移動させるのも難しそう)
・濃尾平野の北の端、つまり美濃の山地の突端にあるため、平地からの攻撃を単独で集中的に受けてしまう場所に位置すること
・隣の山とは切り離された単独峰なので、攻め手が大軍があれば逃げ道なく包囲されてしまうであろうこと
・隣の山を敵に抑えられてしまうと、北の長良川に面していることもあって、援軍を送ることが難しい立地であること
という感想を持ちました。
北からの攻めに対しては無類の強さを発揮しそうですが、南からの大軍の攻撃には抗するのが難しかったのではないかという気がする場所でした。
おそらくそもそもが西に対する防衛拠点として作られているのではないかという気がするので、もう少し稲葉山城からの由来を調べてみようと思います。
関連図書としては、岐阜城も織田信長のイメージが強いのでまずはこれ。
そしてだいぶ前に読んだので詳細は忘れてしまいましたが、道三が親子二代にわたって美濃の国盗りをしたという
あたりがお勧めできます。
この後は今回の旅で行きたかった岩村城に向かって岐阜県を東進しますが、思ったより岐阜県が広いことで、移動にだいぶ時間を要しました。